新陰流に居合はない

剣術の流派である新陰流は、室町時代の末期に上泉伊勢守信綱によって創始されました。
信綱に師事した柳生但馬守宗厳から嫡孫である兵庫助利厳に継承され、利厳が尾張藩の兵法師範役となって以来、およそ400年の歴史を経て尾張の地に伝えられています。
実は、新陰流(新陰流兵法)には元来「居合」は存在しません。他の剣術系の流派にも見られますように、刀の“速抜き”の修錬のための「抜刀勢法」のみが存在しています。

一方、柔を基本教科とする制剛流は、室町時代の末期に制剛という名の僧に学んだとされる水早長左衛門信正を流祖とします。
その後、水早の門人であった梶原源左衛門直景が尾張藩の柔術師範役となって以来、尾張藩を中心に広く普及しました。この制剛流の一環であった居合(制剛流居合)が時代とともに〈かたち〉を変えながら現代へと伝わっています。

伝系図に示しますように、尾張藩では当初、柔術の一環であった「制剛流居合」は、剣術の「新陰流兵法」とは全くの別モノでした。
しかし、江戸時代の後期に尾張柳生家の兵法補佐役を務めた長岡家によって、新陰流兵法の“併修”用としての〈かたち〉へ再整備され、その口伝書が尾張柳生家へと伝わっています。
その後、制剛流居合は柳生厳長による新たな解釈が加えられるとともに業(わざ)の創作がおこなわれ、「新陰流居合」の名称で、厳長の門弟であった鹿嶋清孝らによって後世に伝えられました。
〈かたち〉の正体を探る

この業(わざ)は、なぜこの〈かたち〉なのか? この業のこの部分は、どのようにしてこの〈かたち〉になったのか?
〈かたち〉には必ず理由があります。
私たちは新陰流居合の〈かたち〉について、主に2つの観点での研究・稽古をおこなっています。

一つ目は、物理学的(動力学的)な理由に基づく〈かたち〉です。
居合は、一人稽古を基本とする武道であることから、ともすると、先に〈かたち〉ありきで、決められた〈かたち〉に身体を合わせ込むような稽古になりがちです。人間は案外と器用ですので、身体にやや無理がある動きであっても、訓練によって可能となってしまいます。
しかし、私たちは、「理が〈かたち〉を生む」すなわち、〈かたち〉とは「結果」であると考えています。ごく基礎的な物理学の知識を「重力の威力」「ばねの働き」のような形で体感し実感できれば、〈かたち〉の意味が理解できるようになります。
物理学の理に沿った身体操作によって、足元から刀の先まで全身が連動し、力が滞りなく流れる気持ち良さや身体の解放感を存分に楽しむことができます。

二つ目は、歴史的な理由に基づく〈かたち〉です。
私たちが研究・稽古している「新陰流居合」の歴史を遡ってみますと、時代の古い順に、①柔術の一環としての位置づけの居合、②新陰流兵法の“併修”用としての位置づけの居合、③剣道人に普及する手段としての位置づけの居合、という三段階があります。それぞれの時代で、それぞれの意図に沿った大々的な〈かたち〉の変遷が見られます。
また、対敵動作としては不自然に感じるかもしれませんが、どの時代においても、一人稽古を基本とする居合ならではの〈かたち〉が見られるという点も興味深いです。たとえば、身体操作の基礎を身につけるためであったり、鍛錬が目的であったり、などです。
〈かたち〉は「次世代への暗号」です。時代を繋ぐ暗号を解き明かす研究・稽古にはロマンを感じます。
剣居一体を考える


剣(剣術)と居(居合)の違いについては様々な整理の仕方がありますが、剣術は已発(抜刀後)の技術、居合は未発(抜刀前)の技術だと考えるのが分かりやすいかと思います。
つまり、剣術は敵味方ともに最初から刀を抜いている状態が前提となっており、一方、居合は刀が鞘に納まっている状態が前提となっています。前者は戦場での技術、後者は日常生活で突如見舞われた非常事態での技術だと言ってもよいでしょう。

新陰流は「剣術」の流派ですので、新陰流兵法には元来「居合」は存在しておらず、刀の“速抜き”の修錬のための「抜刀勢法」のみが存在していました。
その理由はおそらく、他の剣術系の流派の主張にも見られますように、刀を抜いた状態の敵に対して、ただちに目にも止まらぬ速さで抜刀する技術さえ身につけていれば、あとは「剣術」の技術で必要十分だから、という考え方によるものだと思われます。
ところが、江戸時代の後期になって、新陰流の中興に努めた長岡房成が、外伝試合勢法の考案と同時期に、制剛流居合を新陰流兵法の“併修”用として再整備しています。この事実から、房成は新陰流の中興を進める中で、未発(抜刀前)の技術において、何らかの理由により、従来の刀の“速抜き”の修錬だけでは不十分だという判断をしたことが推測されます。

「剣居一体」ということばは、単に「剣」と「居」の両方をバランスよく稽古する、という意味を超えて、より深い「一体」を目指すことを意味していると私たちは考えています。
したがって、「剣のための居」であり、「居のための剣」であるという相互に作用し合う関係を意識して、剣居一体の“居”として望ましい「新陰流居合」の〈かたち〉の表現を目指しています。
